最高裁判所第三小法廷 平成4年(行ツ)125号 判決 1992年11月20日
上告人
星野智衛
右訴訟代理人弁護士
雨宮定直
同弁理士
井沢九二男
被上告人
株式会社ダイエー
右代表者代表取締役
中内
右訴訟代理人弁護士
小野昌延
同弁理士
網野誠
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人雨宮定直、同井沢九二男の上告理由について
商標法五〇条(平成三年法律第六五号による改正前のもの)による商標登録の取消審判は、不使用商標登録の取消しを求める法律上の利益を有する場合にのみ請求することができると解されるところ、請求人が商標登録出願した商標が当該登録商標と類似し、指定商品も同一又は類似するとして右出願が拒絶されるおそれがある場合、あるいは請求人の使用する商標が当該登録商標と類似し、指定商品も同一又は類似するとして商標権者等から使用差止め等の請求を受け又は受けるおそれがある場合には、請求人には当該登録商標につき不使用取消審判請求をする法律上の利益があるものと解するのが相当である(ちなみに、請求人が商標登録出願した商標が当該登録商標と類似するとして右出願が拒絶され、同人が右査定を争うことなく確定させることと、当該登録商標につき不使用取消審判を請求することは、制度上も何ら矛盾した行為ということはできず、右査定を確定させたこともって、直ちに、同人の当該登録商標につき不使用取消審判を請求する法律上の利益の有無に消長を来すものではない。)。
これを本件についてみるのに、原審は、(一)被上告人がした商標登録出願は、いずれも本件各商標を引用して拒絶された、(二)被上告人は、昭和四二年七月一日、上告人から、被上告人が販売する商品に「ダイエー」という商標を使用する行為は、上告人が登録を受けた本件各商標と連合する商標について商標権を侵害するものであるとの通告を受けた、との事実を認定したところ、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下において、被上告人に本件各商標につき不使用取消審判を請求する法律上の利益があるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)
上告代理人雨宮定直、同井沢九二男の上告理由
一、原審判決の説示
原審判決の説示理由は、以下のとおりである。
(一) 商標の不使用取消審判請求における請求人の適格については、商標法には何らの規定も設けられていないが、同審判は、独立の職権を有する審判機関が司法手続に準ずる手続によって審理判断するものであり、請求人において不使用商標の取消しを求める法律上の利益を有しないときは、審判請求をすることができないというべきである。
したがって、請求人は、当該不使用商標の取消しにつき利害関係を有する者に限られるというべきであるが、この利害関係を有する者とは、当該不使用商標の登録が存在することによって直接不利益を被る関係にある者と解すべきであるから、登録出願した商標が当該登録商標と類似するとして、商標法第四条第一項第一一号の規定により登録が拒絶された場合はもとよりのこと、登録出願中の商標が当該登録商標と類似し、指定商品が抵触するとして、同様登録拒絶を受けるおそれがある場合のほか、自己の使用する商標が当該登録商標に類似するとして当該商標権者から商標の使用差止めあるいは損害賠償等の請求を受けるおそれのある場合には、利害関係を有する者と解することができる。
(二) これを本件についてみるに、原告(被上告人)が商標登録出願した商願昭五六―四〇四九六号及び商願昭六三―三四〇六七号は、いずれも本件各商標を引用して拒絶されたことは当事者間に争いがない上、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、原告(被上告人)は、昭和四二年七月一日、原告(被上告人)がその販売する商品について「ダイエー」なる商標を使用しているとの理由により、被告(上告人)から被告(上告人)が登録を受けた商標(本件各商標が連合し、旧第一類商標を含む)について商標権を侵害するものであるとの通告を受けたことが認められ、これらの事情からすれば、原告が本件各商標の不使用取消しを請求する利害関係を有していることは明らかである。
(三) 被告(上告人)は、原告(被上告人)の主張する商標登録出願は拒絶査定を受けたにもかかわらず、審判の申立てもされることなく確定したのであり、審判請求人である原告(被上告人)と審判被請求人である被告(上告人)とは、すでに一切の利害関係を失い、審判請求事件は実質上は放棄され、他の手続を講ずる必要はなしとして、審理終結をむかえたのである旨主張する。
しかしながら、前記のとおり、原告(被上告人)がした商標登録出願は、いずれも本件各商標を引用して拒絶されており、しかも、原告(被上告人)は、被告(上告人)から被告(上告人)が登録を受けた本件各商標と連合する登録商標について商標権を侵害するものであるとの通告を受けているのであるから、本件各商標が存在し、原告(被上告人)において本件各商標と類似する商標の取得の意思を有している限り、原告(被上告人)がした商標出願が拒絶査定を受け、審判請求をしないままこれが確定したとしても、このことをもって原告(被上告人)が利害関係を有しなくなったとはいえない。
(四) しかるに、本件審決が、原告(被上告人)が本件審判を請求するについての法律上の利害関係を有するものとは認められないとしたことは、請求人の資格についての判断を誤ったもので違法といわなければならない。
二、上告理由
原審判決は、不使用による商標登録取消審判請求につき要求される利害関係の存否の認定において、法令の解釈・適用に際して求められる最高原理である衡平の原則に違背し、よって判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背をおかしたものであって、取り消されるべきである。
三、不使用による商標登録取消審判における利害関係認定の特質
(一) 不使用による商標登録取消審判(商標法第五〇条)というものは、当該商標登録自体に内在する本来的、根源的な瑕疵欠陥を原因として請求する商標登録無効審判(商標法第四六条)とは異なり、商標登録自体には何ら本質的な瑕疵欠陥は存在しないが、商標権者等による登録商標の使用義務違反(一定期間の継続的不使用)という後発的且つ一時的な事由を取消請求原因とするものである。また、同法第五一条の取消審判の場合と異なり、登録商標の不正使用に対する攻撃ではない。
不使用による取消審判は、不使用の登録商標を放置しておくことは、該登録商標と同一又は類似の商標の他人による使用を排斥して、その営業活動を阻害しているということにおいて、商標登録の制度の目的に背馳することになるから、請求により当該登録商標の商標登録を取消し、当該他人による同一又は類似の商標の登録取得並びにその使用を可能ならしめ、もって制度目的を達成させるという点において、間接的な公益性の一面を有していることは否定できない。
しかし、それはあくまでも当該登録商標と同一又は類似の商標の使用を企図する他人の私的利益を保護することを基礎とするものであって、公益的側面はその反射効として実現されるものとする制度である。
従って、すでに登録要件についての厳正な審査を経て、適法に登録されている商標につき、その商標登録取消の審判を請求するについては、これを請求するための競業者としての個別・具体的、直接・現実的な法律上の利益を有していなければならない。
(二) なお、審判請求の利益の存否は、審決の時点ないし審決の当否を判断する事実審の口頭弁論終結の時点において判断すべきであるとする趣旨の最高裁判決(最高裁昭和五四年<行ツ>第一五二号事件・昭和五五年一〇月ニ八日判決取消集昭五五、P二二三六)がある。
しかし、これは、実用新案の権利範囲確認の審判に関する判例であって、その審決の当否を判断する事実審即ち審決取消請求訴訟における口頭弁論終結の時点において利害関係を判断すべきであるとすることについては、この判決のなされた実用新案権についての権利範囲確認審判事件についての審決取消請求訴訟あるいは無効審判における審決取消請求訴訟の如くの、絶対的特許(登録)阻却事由該当を原因とする審判においては、その強度の公益性に鑑み相当であるとしても、本案の如き不使用による商標登録取消審判請求事件の如くの相対的、後発的、一事的な事由を原因とする審判についての審決取消請求訴訟においては、適用されるべきではない。
(三) すなわち、無効審判の如きは(権利範囲確認審判についても同様であったが)、前述の通り、当該権利自体に内在する本来的・根源的な瑕疵欠陥(登録要件違反という絶対的なもの)を請求原因とするものであるから、これら請求原因は経時的に変化するものではない。従って、このような絶対的、経時的に変化しない事項を請求原因とする手続についての訴訟要件の審理は、口頭弁論終結の時点においてこれを判断するのを相当とすることができる。
しかしながら、不使用による商標登録取消審判というものは、前述の通り、特定のある期間(取消審判請求の登録前の三年間)における商標権者等による登録商標の使用義務違反ということを請求原因とする手続であって、絶対的登録要件違反を請求原因とするものではなく、前記した使用義務違反は、当該登録商標の使用を開始することによって治癒しうるものである。
それにも拘らず、当事者間における手続の衡平の観点から、商標権者側における取消審判請求の登録後の使用によって、取消を免れることはできないとされている。即ち、審理対象とすべき要件事項は全て特定の時点ないし期間内におけるものに限定されている。
(四) かかる性格の手続である不使用取消審判請求事件においては、攻撃をしかけた請求人側に要求される手続資格要件についても、前述したところとの衡平をはかる意味において、当該不使用取消審判請求の時点において具備していたか否かを判断すべきであり、且つその特定された要件事項が審理終結時点あるいは審決の当否を判断する事実審の口頭弁論終結の時点においても依然として有効に維持されていることを要すとすべきである。
加えて、不使用取消審判においては、請求人は、新たな利害関係が生じたとすれば、その時点で、何時にても審判請求をなし得るから前述のように解釈しても、何ら請求人側の利益を害することとはならないのである。
(五) 以上からみるならば、不使用取消審判における請求人の利害関係の有無の判断においては、特に慎重且つ厳格な態度が必要である。この点を軽視して、他の類型の審判の場合と同様な原則を採用すべきではない。
四、原判決の誤り
(一) 原判決は、利害関係を有する者とは、当該不使用の商標登録が存在することによって直接不利益を被る関係にある者と解すべきであるとした上で、(イ)自己の登録出願した商標が拒絶された場合、(ロ)自己の登録出願中の商標が拒絶されるおそれがある場合、および(ハ)自己の使用する商標が当該登録商標に類似するとして当該商標権者から、使用差止めないし損害賠償の請求を受けるおそれのある場合、の三例を挙示した。
そして、原判決は、これを本件についてみると、原告(被上告人)の商標登録出願は本件各商標を引用して拒絶されたこと並びに原告(被上告人)は原告(被上告人)がその販売する商品について「ダイエー」なる商標を使用しているとの理由により、被告(上告人)から商標権を侵害するものであるとの通告を受けたことを認定した上で、これら事情からすれば、原告が本件各商標の不使用取消を請求する利害関係を有していることは明らかであるとしている。
(二) 右において、原告(被上告人)の商標登録出願が本件各商標を引用して拒絶されたことを利害関係存在の認定理由としている。
しかしながら、当該商標登録出願は、当該拒絶によってもはや存在しないものとなっているから、この商標登録出願に基づき、その商標登録を取得する機会は完全に失われてしまっている。
加えて、原告(被上告人)は、前記拒絶査定を受けた自己の出願を、査定不服の審判の請求等の努力を行うことなく放置したまま、前記拒絶査定の確定に甘んずる等の事情からみて、原告(被上告人)は、その出願に係る商標の登録について、明確な意思を有していたものということは、困難である。
特許庁における商標出願審査の現慣行においては、拒絶査定に先立って、拒絶理由が出願人に通知され、出願人は上申書等により査定を、不使用取消審決まで待ってもらうことも可能であるし、また拒絶査定に対し不服審判を請求したうえで、上申書を提出して、審決を不使用取消審決まで待ってもらう等、の措置は可能であったはずである。
したがって、前記三(不使用取消による商標登録取消審判における利害関係認定の特質)において述べたところに照らしてみるならば、当該商標登録出願が拒絶されたことそれ自体を利害関係存在の原因とすることは、その間に何ら法律的関連性を認めることができないから、原判決には、法令の解釈と適用を誤った違法がある。
(三) さらに原判決は、右において、原告(被上告人)が被告(上告人)から商標権侵害の旨の通告を受けたことを利害関係存在の認定理由としている。
しかしながら、当該通告書なるものは、昭和四二年七月一日付で差し出されたもの、即ち、今をさる二十数年以前のものであって、このように四半世紀以前の情況が今だに引き続き現在まで両当事者に切迫したものとして維持されて来ているという客観的、具体的情況はどこにも存在しない。
加えて、当該通告書が差し出された昭和四二年当時において、果たして通告書に指摘された商標権侵害の事実があったのか否か、また、当該通告書に対して誠意ある回答書が出された事実があるのかどうかも何ら確認されていない。
したがって、このように曖昧模糊なるものとして既に葬り去られたような過去の事柄を、現実の利害関係存在の事由とすることは経験則に違背するものである。
(四) さらに、原判決は、前記した利害関係存在認定に際して、「原告(被上告人)において本件各商標と類似する商標の取得の意思を有している限り」という条件を示しているが、原告(被上告人)においては、前記したように原告(被上告人)が出願した商標登録願は既に拒絶され、存在しないものとなってしまっていたのであるから、ここにおいて原告(被上告人)が商標登録を取得する可能性は全くなくなってしまっており、また取得するために万全の努力した形跡もなかったのである。
したがって、原判決がいうところの「原告(被上告人)において本件登録商標と類似する商標の取得の意思を有している限り」という条件を充足する事実は、客観的には全く認められないところであり、この点においても、原判決は経験則に違背し、違法である。